第1期

長野県における盲導犬の歴史は、1970年代に諏訪盆地で始まり、会社を経営する伊藤さんが、自ら入手したジャーマンシェパードを東京盲導犬協会(現在のアイメイト協会)に依頼して盲導犬としての訓練を受けましたが、この盲導犬がその後どのような活躍をしたのかについては、残念ながら確認するすべはありません。次に大町の関さんという方が、日本ライトハウスで盲導犬との共同訓練を受け盲導犬との生活を始めましたが、花火大会で恐怖感を持つようになり、盲導犬としては働けなくなってしまいました。その後、私たちの記憶にも残るユーザーが下諏訪と長野に登場しました。

下諏訪の小林さんという女性は、長野県内の盲導犬ユーザーに声をかけ「長野県盲導犬友の会」を結成し、カセットテープの会報を発行するなど活躍しました。

一方で、長野市では、長野盲学校の教師の坂本さんが、広範な障害者運動をしている人々と連携して、盲導犬の啓蒙活動を展開しました。坂本さんのパートナーだったフリサの銅像は、今も長野盲学校の玄関で多くの視覚障害のある児童や成人の生き様を見つめ続けています。

第2期

1981年の国際障害者年を契機として、上田点字図書館の館長の内藤礼二さんが、石井眼科医院の寄附を積み立てた石井基金によって盲導犬の貸与をすることになりました。

そして、この貸与事業を背景として長野県に働きかけ、長野県も年間4頭の盲導犬の給付事業を始めることになり、毎年アイメイト協会から2頭、日本ライトハウスから2頭の盲導犬が長野県にやってくることになりました。

私は、石井基金から1頭目の盲導犬イングリッどを貸与されることになり、和歌山県田辺市にあった日本ライトハウスの訓練センターで、4週間の共同訓練を受け、盲導犬との生活を始めました。

私の盲導犬デビューは、新聞やテレビの11社が取材に来るという華々しいものでした。ところが、タクシーに乗ろうとすると「犬はだめだよ」と拒否され、電車に乗ると「動物料金をいただきます」と言われ、おまけに松本にあった盲人会館でさえ盲導犬ユーザーの利用が制限されるような有様でした。

さらに、1982年に県職員となった私を追うように翌年県職員に採用された女性が、県庁で勤務するようになると、同僚から盲導犬に対する虐待行為を受けるという悲しい事件まで起きました。